復帰と祝福 2

御旨と世界
02
 復帰完成ということを考えた場合、完成されなかった基準、アダムにおいて堕落した基準、イエス様において成就できなかった基準、それらすべてを現世に引っ張ってきて解き明かし、再び蕩減して、復帰していかなければならないのが統一教会の使命であり、先生は自らそれを実行し、先生のあとをついてきてくれる世界に広がった統一教会の食口たちに、それを行わせるのが先生の使命である。あなたたちは命令されて、それを行うのが使命である。
●02-01「完成されなかった基準、アダムにおいて堕落した基準、イエス様において成就できなかった基準」それらすべてを現世に引っ張ってきて、解き明かし、再び蕩減して、復帰していかなければならない。」

 以下の3つの基準に関して、補足しておきたいと思います。

▶「完成されなかった基準」とは
本来、神様が目指された基準。創造本然の基準、家庭的な基準。
ダムとエバが堕落しないで、理想郷を創建することのできるベースとなる家庭基準のこと。大王権と四大心情圏を樹立した天的四位基台を成した家庭のこと。 

▶「アダムにおいて堕落した基準」
 アダムはどういう状態で堕落をしてしまったのか、というポイント。いわゆる、原罪のこと。
堕落は、個人で堕落したのではなく、家庭単位で堕落しています。ですから、原罪は個人だけでなく家庭という範疇で語られるものと考えています。

▶「イエス様において成就できなかった基準」
 イエス様において成就すべきだった基準は、結婚です。イエス様は、結婚をすべきでした。文先生は、「イエス様が、しかるべき相手と結婚さえしていれば、世界は変わっていた。」という意味の御言を残されています。イエス様は、三弟子、十二弟子、72門徒などのフォーメーションを組まれました。これはどういう意味なのか、という問題が残っています。結局、イエス様が十字架で亡くなられて、そのフォーメーションは崩れていきましたが、本来ならば、どのようにその基盤を進めていくべきだったのか、その問題が残されたままです。
イエス様の成そうとされたことは、本来、アダムが成そうとしたことです。これらの基準をこの現世に引っ張り出す、つまり、この現世で同じことを成すことで、アダムやイエス様が成せなかったこと越えていくことになります。これが、いわゆる、蕩減といわれるものです。